(有)ライトデザイン

 (有)ライトデザイン〜right design〜


筑波サーキットの目の前の小嶋英俊と井形マリのお店です。
面白いもの、一緒に作ってみませんか?

 HOME

 仕事の紹介

オリジナル商品 

 デザイン工房

私達の記録 

お問い合わせ 

  
 
  



マリの小部屋 ( 20歳 〜 )



二十歳になった 10日後、レースデビューする。 そこからの お話し。


  



 
  [ 2024/12/25 ]

 

 おぉ〜! キリッ とした表情。  これは普通じゃないから、多分 雑誌の取材用とかじゃないかな?
  朝研の前で、CB125JX に跨る、の図。 いかにも ホンダ技術研究所に通い、社内チームの
  ブルーヘルメットに所属し、ロードレースに参戦する女性! って イメージの図。

 取材用の顔を作るのは 得意だ、と 豪語していたが、顔はいいから、性格を何とかして欲しいものだ ・・・
  








 
  [ 2024/12/19 ]

 

 その 初めて開催された 女性だけのレース 「パウダー・パフ」 で、マリは 優勝した。

 しかし、マリは 口癖の様に 言っていた。 このレースは、堀ひろ子が 勝ちを譲った ・・ と
  堀ひろ子は、自ら主催するレースで、優勝する訳には 行かなかっただろう ・・ と
   まともに 勝負をしてくれなかった ・・ と

 堀ひろ子に対しては、憧れ と 尊敬の念を持っていたが、この時、自分とは違う世界の人だと 感じたらしい。
  レースの世界で 生きて行く人ではない。 男世界の中で 這い上がって行く為には、
   どんな汚い手を使っても 勝ちたい、という気持ちを持っている 自分とは違う、と思ったらしい。

 実は このレースには、出場したら、ぶっちぎりで優勝していたはずの 女性ライダーが 出ていない。
  女性で 初の 国際A級ライダーになった、小沼 加代子だ。

 勿論、堀ひろ子は 小沼加代子にも、声を掛けたはずだが、男の中で トップ争いが出来る 加代子としては、
  女のレースなど、全く 眼中には無かったのだろう。 そして マリも、このレースなど 眼中に無かったらしい。

 しかし、ここが マリの、したたかな ところで、このレースで名前を売る事で、将来の道を有利に歩めるだろうと、
  企んで 出場したらしい。  ところが 予想外に 堀ひろ子の 実力が高かった、という事だ。




        

 この パウダー・パフは、あくまで エキジビジョンレースなので、優勝しても賞は無く、参加賞としての
  ブロンズ像 しかない。 マリは 今まで貰ったはずの、トロフィーや盾などを 全く残していない。

 しかし この、パウダー・パフの ブロンズ像だけは、死ぬまで 自分の目の届くところに 置いていた。
  それは、ひとえに、堀ひろ子 に対する 畏敬の念 からだと思う。

 堀ひろ子は、女性2人で CB750で 世界一周したり、サイドカーのパッセンジャーを務めたりして、
  女性でも、男性と同じ様に、2輪、そしてレースの世界で、生きて行ける事を、地道に証明して見せ、

 1976年 当時、レースに出場出来るのは、「18歳以上の男子」 となっていた、
  MFJの 規定の改正を働き掛け、レギュレーションの変更に 漕ぎ着けた。
   見事に 男の壁を破った、正に 女性ライダーの パイオニアだ。

 マリは、自分がレースの世界に入って行けたのは、堀ひろ子が その道を 切り開いてくれたからで、
  一生、畏敬の念を抱いていたのだ。  でも、殆ど 話した事が無いんだよね、と 言っていた。

 そして、3位になった 小川ヨーコも、このレースで、マリとの 実力の差を感じ、レースを諦め、
  ジャーナリスト への道を歩んだ、と書いてあったが、堀ひろ子、小沼加代子、小川ヨーコ、
   そして マリと、さすがに 女性ライダーの 黎明期、優秀な人が 揃ってたんですね〜 ・・・
   







 
   [ 2024/12/16 ]

 






 

 やはり 被写体が 女性だからか? 誰かが写真を撮ってるんだろうが、恐らく 殆どの写真は、
  1人の人物が撮っているはず ・・ いずれ、それが誰かが 分かります ・・







 
  [ 2024/12/11 ]

 そして、1978年 9月、女性ライダーの パイオニア 「堀 ひろ子」 が 主催した、
  女性だけのレース 「パウダー・パフ」 が、全日本GP で併催された。


                   


 

  ポールポジションは、主催した本人 「堀 ひろ子」、 セカンドポジションが マリ、サードが 小川ヨーコ?
   堀 ひろ子、カッコイイですねぇ〜! 子供みたいな マリ と比べると、お姉様 って感じ ・・




 

 ル・マン式スタート だったんですね。 スタート悪くない、でも 堀 ひろ子は すでに 跨ってるかな?




 

 マシンは、125cc 2気筒の、CB125T の、ワンメイクですね。
  このレースは、名目は エキジビジョンレースで、ショーとして、鈴鹿サーキットの 東コースで開催されたが、
   実際は ちゃんとしたレースだった。

 このレースは、主催した 堀ひろ子が、長年掛けて 地道に活動し、やっと辿り着いた、念願のレースだった。









 
  [ 2024/12/7 ]

 

 珍しく、仕事の写真。  マリは、和光研究所に入社し、一般職で庶務の仕事をしていたらしい。
  普通に事務仕事は出来た様だが、仕事の話は聞いた事が無く、まあ、仕事には興味は無かった様だ。

 何でも、何かを発注した際、間違えて 一桁 多く発注してしまい、大騒ぎになったらしいが、
  特に 怒られる事も無く、おとがめ無しだったらしい。 しかし、程なく 東研究所に転勤になったらしい。

 東研究所は、ホンダの汎用エンジン、耕運機、発電機などの 研究所で、それなりに面白いとは思うが、
  バイクや車好きで 入社した社員としては、行きたくない研究所ではあるだろう。

 マリとしては、左遷されたのは認識した様だが、仕事は何でも良かったので、何とも思わなかったみたい?

 小型の耕運機の試験をしている 振りをしているところですかね?



 

 女の子でも、簡単に持てちゃいまぁ〜す!  って、宣伝にでも使ったのかな?  
  手が震えてる様にも 見えるんですが? ・・

 ここは、どこか分からないけど、耕運機や草刈機のテストは、荒川のテストコースの近くにあったとか?
  更に 本格的な 草刈機のテストは、朝霞自衛隊の敷地内に、草刈をする、という条件で、
  テスト場として、借りていた 場所があったらしい。

 髪が 爆発してますねぇ〜 ・・

 






 
  [ 2024/12/3 ]

   そんな 奮闘 努力 の 甲斐も 無く〜 ♪ ・・・ じゃなくて ・・・ 奮闘 努力 の 甲斐 あって



  

     




 

      

  2位になったんですね〜 ・・ 良かったですね〜 ・・ 何か みんな 嬉しそうな顔 してますね〜

  それにしても、表彰台が 汚い! ・・ 思いっきり ローカル!って感じ。



 

 何か 一杯 貰ってますね ・・ 副賞なのかな? ・・ レース終了後の 表彰式は 外でやってたのかな?
         







 
  [ 2024/12/1 ]

   

 速い人の走りを、しっかり見て 勉強しなくちゃ!    気付いた事は、しっかり メモして 勉強しなくちゃ!










 
 [ 2024/11/27 ]

 

 筑波のレース前 と思われる。 ちょうど 2人の女性が並んでいる写真。 向こう側は、小川 (富樫) ヨーコ。





      

 

 押し掛けなので、いつも スタートは ビリ だったらしい。 ここから 一生懸命 追い上げるぞ! って感じ ・・



 

 結構 速そうに見えますよね。  このレースの結果は 分からないけど、悪くない、悪くない。









 
   [ 2024/11/23 ]

  さて、そろそろ 話を 戻しましょう。

 お別れ会では、本来 喪に服して 悲しみに浸るところが、数十年ぶりの再会で、マリ そっちのけで 大騒ぎ。
 
  不謹慎 極まりなし。 

 帰って、「いやぁ〜、滅茶苦茶 楽しかったよ。」 と 報告したら、 「あっ、そう ・・良かったね ・・」
  と、いつもの 素っ気ない返事。
   そう、いつも そうやって、まるで興味無し、と 聞いてない振りをして、しっかり聞いてんだよね。

 そんな、皆との出会いも、全て マリが作ってくれたもの。
  さあ! 鼻の下も 充分 伸びたし、襟を正して 行きましょう!

 88年、プロダクションレースで、レースデビューして、アルバムには 日付が 書いてないものも多く、
  レースの順序は 不明だが、これは 鈴鹿サーキットでの、連続写真。


      

 

 ヘアピンの進入。 No.48 が マリ ですね。 何だか 皆、妙に インが甘いですね?
  カウル付きの レーサーみたいのも 一緒に走ってるけど? ・・




 

 綺麗に 3台 並んで 立ち上がって行きます。  もう、転ぶ場面は 無い様に思うけどな? ・・




 

 ありゃぁ〜! アウトに はらみ過ぎて、縁石にに 乗り上げて転んでんのね ・・ だったら もっと インに付けよ!

 後に、同時代に マリと一緒に プロダクションレースに出ていた人に聞いたら、プロダクションマシンは、
  バンク角が、とても浅く、攻めると すぐに接地してしまうので、いかに バンクさせないで 速く走るかの勝負で、
 それなりに、とても難しい 独特の走り方が必要らしく、単に 元気がいい奴が速い訳ではないらしい。

 






 
  [ 2024/11/13 ]

 

 デビュー戦の 決勝結果は分からないが、翌月 同じ 筑波サーキットでの練習、スポーツ走行。
  他のライダーに比べて、しっかり 伏せようと、真面目に走ってますね〜。

 今と違って、この時代は、馬力の少ない 非力な マシンで、いかに コーナリングスピードを 上げて走るか が重要で、
  マリも、先輩から、例え コーナーで 怖くても、ひたすら 前面投影面積を小さくする為、伏せろ!
  つま先さえ 出すな! と、教えられていたと 思う。

 何だか、後方のライダーが、真面目に走ってない様に 見えてしまうけど、多分 一生懸命 走ってたと思うよ。




 

 おぉ〜! いいじゃん ・・ でも、これ以上 伏せると、男性と 女性の 骨格の違いから、いわゆる 女の子乗りになってしまう。
  これは、どうしようもない事なんだけど ・・ 果たして、それが 速さに影響するか どうかは、疑問?









 
  [ 2024/11/11 ]

    

 いよいよ、レースデビュー!  78年3月26日  筑波 T.T レース




 

 いつから 始まったのかな? 灯火類や スタンド等を 取り外しただけの、ストック状態の車両の、入門クラス。
  
 こうやって見ると、2サイクル、4サイクル、単気筒、2気筒、各メーカー、結構 色々なバイクが 集まってたんですね。
  No.14 の、黄色い CB125JX が、マリですね。




 

 ここ、何列目? でも、前に人が居るから、もしかしたら フロントロー? ・・ だとしたら、予選 4番手?
  まあ でも、押し掛けだから、いつも スタートは ビリ だったらしいので、決勝は どうだったのかな?
 残念ながら、写真は これだけ。

 全日本と 併催だったのかな? ・・ でしょうね。 今の地方選より、遥かに観客が多い。
  最終コーナー側も、小高い丘になって、観客席だったんですね?  筑波は 殆ど 記憶が無いので ・・・

 


 
 

 HOME

 仕事の紹介

オリジナル商品 

 デザイン工房

私達の記録 

お問い合わせ